龍子の扉


龍子は、中谷吉隆の俳号です。

写真家 中谷吉隆 伝えたい昭和 写真、エッセイを通して時代を綴る

六本木族

石原慎太郎の小説「太陽の季節」は、裕福な家庭に育った若者の現代性を描写したもので、映画化され大ヒットとなり、ヘアスタイルは慎太郎刈りで、夏になるとアロハシャツにサングラスで湘南海岸などを闊歩し、青春を謳歌する若者に対して、マスコミは「太陽族」とレッテルを貼る。昭和32年頃のことである。

昭和35年頃の戦後の経済復興が進むなか、昭和15、6年から終戦直後に生まれた子たちは、戦中派、戦後派の後に現れる「第三の時代」だと、作家藤島泰輔は書いている。その後に「団塊の世代」が続くが、軍国主義から民主主義となっていく時代であり、平和を享受しながら開放感ある育ち方をしていて、戦中、戦後派には理解できない存在としてあった。

外国大使館や高級レストランがところどころに点在する飯倉周辺は独特な雰囲気をもっていた。もちろん一部の10代の若者で、親たちも自由を味わう生活を送るが、その親たちが出入りする当時としては珍しい、深夜まで営業しているクラブや外国人がよく利用するカフェ、レストランに、親の威厳のもとにたむろする良家のぼんぼんや子女たちが登場する。いわゆる「六本木族」である。

コカコーラやジュースなどを飲みながら、ジュークボックスから流れる外国の音楽でマンボやジルバで夜を踊り明かしていた。そういった彼らが親の車を使い夜の鎌倉海岸へ繰り出して遊ぶので、「月光族」などとも呼ばれたが、いずれにせよ世間では「60年安保」で騒がしいものの、「安保なんてカンケイないヨ」と意に介すことなく青春を謳歌していたのである。

彼らはキスのことを「チーハー」と言っていたが、コーラを飲みながら大らかに「チーハー」をしていて、写真を撮っていて面食らうこともしばしばだったが、ことセックスにはけっこうシビアで、それが噂になり仲間はずれにされた子もいた。消費的生活を満喫しているような彼らであったが、デザイナー、画家、役者、歌手など、それなりの夢をもっている者もいて、その後、六本木族から芸能予備軍となる「野獣会」ができ、映画俳優の峰岸徹や歌手の田辺靖雄らが世に出た。この話しは、次号で。

ジュークボックスから曲を選び、ジルバやマンボで踊り明かす。
ジュークボックスから曲を選び、ジルバやマンボで踊り明かす。
時々子猫がじゃれ合うように「チーハー」を楽しんでいた。
時々子猫がじゃれ合うように「チーハー」を楽しんでいた。
コカコーラやジュースにサンドイッチなどで夜を明かし、まだ都電の始発前に帰っていく。
コカコーラやジュースにサンドイッチなどで夜を明かし、
まだ都電の始発前に帰っていく。
「フロリダ」は終夜営業をしていて、気軽に立ち寄れた。
「フロリダ」は終夜営業をしていて、気軽に立ち寄れた。
外国人も多く出入りしていた「フロリダ」
外国人も多く出入りしていた「フロリダ」
飯倉の朝。ソ連大使館のロシア兵の散歩。
飯倉の朝。ソ連大使館のロシア兵の散歩。
隣り合う、クラブ「SHIMA」と「CHAKO」の前で客待ちをするタクシー。
隣り合う、クラブ「SHIMA」と「CHAKO」の前で客待ちをするタクシー。
飯倉のソ連大使館の並びにピザハウス「ニコラス」(現在の場所とは異なる)があり、人気を呼んでいた。早朝に近所の老人はふんどし姿で散歩をしていた。(いずれも1960年撮影)
飯倉のソ連大使館の並びにピザハウス「ニコラス」(現在の場所とは異なる)があり、
人気を呼んでいた。早朝に近所の老人はふんどし姿で散歩をしていた。(いずれも1960年撮影)

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