龍子の扉


龍子は、中谷吉隆の俳号です。

中谷取材ノート 過去に取材した思い出深いシーンを
紹介

中谷取材ノート ―御年96歳の瀬戸内寂聴さん―

北京・天壇を背景に。(1981年撮影)
北京・天壇を背景に。(1981年撮影)
岡本太郎さんのアトリエで。(1964年撮影)
岡本太郎さんのアトリエで。(1964年撮影)
今年の干支戌年生まれの瀬戸内寂聴さん。「生きるとは書くこと」「書くとは生きること」と、ご老体に鞭打ちながら説法の合間は机に向う姿が放映されていた。大正11年生まれだから96歳で、5月には満97歳になられる。あのご様子なら100歳までは十分に小説などを書かれると思う。

少女小説からスタートしたのが昭和25年で、これまでの間に雑誌の連載を始め、単行本用にどれほどのものを書かれたのか。当初は本名の瀬戸内春美であり、昭和48年に得度して法名は寂聴となり、その名で活躍されるが、その量の多さには想像を絶するものがある。

その瀬戸内さんと最初に取材でお会いしたのが、「芸術は爆発だ!」の名言の大芸術家岡本太郎さんの母君かの子さんの生涯を「かの子撩乱」で婦人誌雑誌に連載していたころで、ゆかりの地を訪ね、太郎さんのアトリエにも伺う、昭和39年のある日で、たった一日の忙しいものだった。

それから17年を経て、中国の文革が終わってしばらくたった1981年に北京、天津、洛陽、鄭州、開封、上海を9日間かけて、ある婦人誌の取材で寂聴さんと旅した。寂聴さんは常に法衣姿で凛としていられ、仏教国中国であるから、編集者とカメラマンはお付き的存在であった。先生のテーマである「美と愛の巡礼」に沿って寺院や中国三大石窟のひとつ洛陽の龍門などを回った。

いずこの都市でも、その土地の新聞社などが受け入れをしていて、夜は熱烈歓迎の宴会となり乾杯が繰り返される。その度に「中谷君、あなたは男なのだから一人で受けなさい」と、寂聴さんの命令が下る。まあ毎夜なんとかこなしていたが、鄭州では河南省特産の60度もあるマオタイ酒が出され、しこたま「カンペイ、カンペイ」を繰り返し、さすがに翌日は半日ダウン状態で撮影したのも懐かしい思い出である。

ご案内 ・・・・・・・・
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