龍子の扉


龍子は、中谷吉隆の俳号です。

中谷取材ノート 過去に取材した思い出深いシーンを
紹介

中谷取材ノート ―ミスター合理化・メザシの土光敏夫さん―

書斎が手狭になって、庭に書庫をつくりほとんどの蔵書を移したと語る。(1978.11.4横浜市鶴見の自宅で撮影)
書斎が手狭になって、庭に書庫をつくりほとんどの蔵書を移したと語る。(1978.11.4横浜市鶴見の自宅で撮影)
あれこれ撮影したが、結局、書斎での木剣のカットをプレジデント誌1979年1月号に掲載した。
あれこれ撮影したが、結局、書斎での木剣のカットをプレジデント誌1979年1月号に掲載した。
不振にあえぐ東芝において独特のチャレンジ方式で、一年目に最悪期を乗り越えたころ。実業の日本誌1966年6月1日号に掲載。(1966.5月東芝本社で撮影)
不振にあえぐ東芝において独特のチャレンジ方式で、一年目に最悪期を乗り越えたころ。実業の日本誌1966年6月1日号に掲載。(1966.5月東芝本社で撮影)
企業の経営者や財界人を数多く撮影してきた。1960年代は高度成長期であり各企業を率いる日本のトップ・リーダーたちがどういう人物で、仕事上での手腕ぶりや外部での活動などを紹介する、ほとんどが公的ないわば表向きの姿であった。国民の関心もそういったことにあった。

そんな時代を経て、財界人の素顔、趣味やプライベート面をマスコミが取り上げるようになるのは70年代から。リーダーたちもその取材に応じるようになってくる。

「ミスター合理化」「荒法師」「怒号敏夫」の異名を持つ、当時、日本経済団体連合会(経団連)の会長を務め、その辣腕ぶりが轟いていた土光敏夫氏を自宅の書斎で撮影できる機会を得たのは1978年秋だった。

実は土光氏を撮るのは二回目。東芝再建のため社長に就任し、最悪期を乗り越えてのインタビュー中の写真で、1966年だった。秘書から撮影は5分ですと釘をさされていた。記者の質問に応じる間に、明治生まれの男が見せた鋭い人を射すような眼力の迫力は恐ろしいほどで、夢中で撮ったが15枚で時間切れとなった。それが脳裏に焼き付いていて、どうも気の重い少し腰の引けた自宅訪問であった。

書斎に通され撮影用のストロボをセットしていると、和服姿で入って来られ、日課となっている毎晩7時に書斎に入り、愛読している『世界の名著』『日本の名著』を読みながら、また考え事をしながらの過ごす時間の大事さを柔和な表情で話され、こちらの気も落ち着いてくる。

そして朝6時に起床して庭で木剣を振り、休日は昼食まで畑の草むしりと、自宅での簡素な生活ぶりや健康に気を使っていると身振り手振りを交えて語る様子は、12年前とは雲泥の差で、80歳を過ぎた好々爺だった。とくに夫人と二人の夕食のことになると、「肉は食べません、魚はメザシぐらい、畑で採れた野菜をドンブリに山盛り、ご飯を軽く一杯と豆腐」と、時折、煙草をくゆらせながら楽しげだった。

ちなみに「メザシの土光さん」のイメージ定着は、1981年第二次臨時行政調査会会長に就任し、その行動を追いNHKが特集を組み、『85歳の執念 行革の顔 土光敏夫』を放映した折、自宅での夕食のメザシが映されてからである。

話の中での木剣が気になり、お願いすると気軽に居間から持ってこられ、「庭でも撮りましょう」と、進んで庭に出られ撮影時間をたっぷりととって下さり、表向きのイメージとは異なり驚いたものだった。

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