龍子の扉


龍子は、中谷吉隆の俳号です。

中谷取材ノート 過去に取材した思い出深いシーンを
紹介

中谷取材ノート ―孤高の小説家・水上勉さん― その弐

山懐に抱かれた若州一滴文庫の全景。(1989.3月撮影)
山懐に抱かれた若州一滴文庫の全景。(1989.3月撮影)
『五番町夕霧楼』、『金閣炎上』を始め、幾多の水上文学の主人公が展示されている。人形展示館でワンショット。(1989.3月撮影)
『五番町夕霧楼』、『金閣炎上』を始め、幾多の水上文学の主人公が展示されている。人形展示館でワンショット。(1989.3月撮影)
完成した劇場『若州人形座』での公演を控え、稽古に余念がなった。指示を出す水上先生(右端)(1989.3月撮影)
完成した劇場『若州人形座』での公演を控え、稽古に余念がなった。指示を出す水上先生(右端)(1989.3月撮影)
こけら落しには、宮城まり子さん(右端)も駆けつけ、公演終了後の打ち上げでは美声を披露し、先生は上機嫌だった。(1989.4月撮影)
こけら落しには、宮城まり子さん(右端)も駆けつけ、公演終了後の打ち上げでは美声を披露し、先生は上機嫌だった。(1989.4月撮影)

小説家・水上勉さんの小説の真髄は風土観、宿命観に基づいたものであり、「人間を描きたい」と、少年時代を過ごした禅寺の堕落した暮らしぶりをもとに書いた、第45回直木賞の『雁の寺』を始め、『越前竹人形』、『金閣炎上』、『五番町夕霧楼』など実に数多くの作品に表れている。

約一年に渡った『わが精進十二ヶ月-土を喰ふ日々』の取材が終わり、その連載の影響からいくつかの雑誌で水上流料理の取材が舞い込み、急遽わが家で先生の撮影したこともある。また京都の仕事場を訪れたが、先生はいち早く小説やエッセイを書くためにパソコンを導入していて、「電脳人間」だよと得意げにカメラに収まってくれた。

そして、生まれ故郷福井県若狭の『若州一滴文庫』に、念願の車椅子劇場『若州人形座』を完成させたのが1989年4月。こけら落しに『越前竹人形』の公演があり、全国各地から多くのファンが集まり、その妖しいまでの美しさに涙した。

ここには人形展示館や氏の2万冊にも及ぶ蔵書の図書館があり、その一角には竹屑から竹の和紙を作る工房がつくられ、寸暇を惜しんでせっせと一枚一枚丁寧に竹紙を漉いていた。もうひとつ力を入れていたのが骨壺づくりで、丹念に土をこね窯に入れていた。自作の詩をそえて親しい知人・友人に贈るためだが、依頼が殺到しその反響に悲鳴を上げてもいた。

無事に若狭の行事を終えた直後、中国訪問団の団長として訪れた北京で、くしくも天安門事件に遭遇しホテルに缶詰めとなる。団長としての心労が原因で心筋梗塞となり倒れてしまうのである。

帰国後、生死をさまようことになるが、無事に退院されて長野県軽井沢から新天地である長野県北御牧村に引っ越しての生活が始まり、遊びにおいでよとの誘いで伺うが、そのことは次回に譲りたい。

ご案内 ・・・・・・・・
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