龍子の扉


龍子は、中谷吉隆の俳号です。

中谷取材ノート 過去に取材した思い出深いシーンを
紹介

中谷取材ノート ―孤高の小説家・水上勉さん― その壱

別荘の台所に立ち、手際よく里芋の皮をむく(1977.9月撮影)
別荘の台所に立ち、手際よく里芋の皮をむく(1977.9月撮影)
居間にある大きな囲炉裏で松茸を焼く(1977.10月撮影)
居間にある大きな囲炉裏で松茸を焼く(1977.10月撮影)
畑での季節の野菜づくり。鍬さばきも堂に入っていた(1977.11月撮影)
畑での季節の野菜づくり。鍬さばきも堂に入っていた(1977.11月撮影)

月刊誌や週刊誌など雑誌の取材で多くの文筆家を撮影した。その中で小説家の水上勉さんには数多くカメラを向けた。苦労して作家の道を歩んでいて、シャイな方だったが多岐に渡って、多くの思いでもあるので、前編、後編と二回に分けて述べてみたい。

晩秋の佐渡島に一緒に出向き取材したのが最初で、1967年だった。社会派ミステリー小説である『飢餓海峡』を読んでいて、偶然のことだが青森県大間崎で宿泊した旅館の部屋が、数日こもってその小説を書き上げたという因縁もあり、佐渡へ渡る連絡船のなかでお話すると「そうかね、奇縁ですね」と頬を緩ませて、一介のカメラマンに打ち解けてくれたのが印象的だった。

それから約10年後、先生は雑誌ミセスに『わが精進十二ヶ月-土を喰ふ日々』を連載(1978年1月号〜12月号)する。季節の野菜などを使い料理を作り、素材への想いや料理する心得を文章に書き、それに写真を添えるという企画だった。人物写真は得意としていたが、それまで料理写真なぞ撮ったことのない私にその撮影依頼が飛び込んできた。当時先生の別荘(山荘とも呼んでいた)が長野県軽井沢にあり、わずかばかりの畑だが、ご自分で季節ごとの野菜類を育てていて、それらに加え地元での野菜類を調達して精進料理をつくるわけで、撮影のために毎月のように軽井沢の別荘に通った。

「料理は、芋や大根や春菊の食べてくれという声が消えないうちに手早くやらなければ駄目だ」が水上流で、包丁さばきを始め小鉢や皿への盛り付けなど実に手早く鮮やかで、まずは料理を作る表情や情景をスナップ撮影するのだが、もたもたしてはいられなかった。

味付けも簡単明瞭だが見事なもので、さすが9歳から19歳まで、京都の臨済宗相国寺の徒弟となり修行し、厨で修得した知恵や経験の数々が随所に生かされてのものだった。盛り付けた料理の撮影後、ご相伴に与ったが簡素で美味だった。保存用の梅干しづくりや、梅酒や木の実を使ったリキュール類も多く作っていた。

連載終了直後に同名の単行本が発刊された。先生を撮った姿の写真には自信があるが、料理写真は今から見ると冷や汗ものである。

ご案内 ・・・・・・・・
中谷吉隆の写真についてのご用命は、下記までご連絡ください。
info@nakatani-photohaiku.com

更新履歴