龍子の扉


龍子は、中谷吉隆の俳号です。

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中谷取材ノート ―大相撲の国際化に尽力した元横綱佐田の山―

大相撲の国際化に尽力した元横綱佐田の山

日本の国技である大相撲の国際化に奮闘した元境川親方(元横綱佐田の山)の市川晋松さんが亡くなった。79歳だった。

戦前の長崎・五島列島出身で昭和30(1955)年に出羽海部屋入門。佐田の山のしこ名で1961年初場所新入幕、同年夏場所に幕内下位で当時12人目の平幕優勝。「平幕優勝者は大成しない」と言われていて、過去11人は最高でも三役止まりだった。しかし、決して恵まれた環境ではない少年期の「故郷では芋と麦しか食べられなかった。強くなれば仕送りもできる」のハングリー精神は豊富な稽古量と気力を生み、大鵬全盛時代に第50代横綱になり幕内6度の優勝を飾り「根性の横綱」「闘志の横綱」と言われた。その後、平幕優勝者で横綱になったのは貴乃花だけである。

1968年引退後、年寄「出羽海」を襲名して部屋を継承し日本相撲協会の要職を歴任する。なかでも力を注いだのが大相撲の国際化である。それは、現役時代の1964年に大関としてハワイ、ロサンゼルス巡業に参加したときの「相撲を見て楽しんでくれるのは嬉しいが、本当に日本の伝統文化を感じとっているのか」「俺は、土俵の上の見世物か」の疑問が湧き、「仕切りはなんのためにあるのか、いらないのではないか」との問いに、この思いは一層のものとなる。

大相撲にとって「仕切り」は、日本独特の文化である「間」や「形式美」を表すものであることを外国人にどう理解させるかが自分の役割と心に決めての行動が始まる。その努力が実り、特にヨーロッパで徐々に浸透していく。1992年2月、第6代理事長に就任した5月に取材をしたが、苦労人らしく実に気さくに応じてくれ、「ヨーロッパには礼節を尊ぶ騎士道精神があったので、大相撲を理解してもらうことができた」と、語ってくれたのが印象的だった。

そういったことが礎となって国際化された今日の大相撲があるのだと思う。まことに惜しい人を失った。ご冥福を祈りたい。

平成4(1992)年5月24日 夏場所千秋楽の夜、出羽海部屋打ち上げパーティーで「大相撲の何たるか」を熱っぽく語る出羽海理事長(京王プラザホテルで)

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